この記事は、2023年2月16日に開催された「GLOBALIZED インバウンド 2.0|訪日DXで進化する日本の未来」のカンファレンスイベントレポートです。
「SHUEISHA MANGA-ART HERITAGE(集英社マンガアートヘリテージ)」とは
集英社 岡本氏|
集英社の岡本と申します。集英社に入る前、もう約30年も前ですが、東京藝術大学にいました。今回この企画を立ち上げて、ようやく藝大で学んだことが直接役にたつようになった気がします。髪をキンパツにしているので、ダニエルさん含め皆から「金八」と呼ばれています。本日はよろしくお願いします。
ストライプ社 ダニエル氏|
ダニエルと申します。ストライプには2014年から所属しており、日本事業を立ち上げからずっと担当しています。前職ではクックパッドでエンジニアをしていました。そして生まれて以来、こういうグローバルなイベントに登壇できることを嬉しく思っています。
2021年3月、集英社が「SHUEISHA MANGA-ART HERITAGE(集英社マンガアートヘリテージ)」*1https://mangaart.jp/という事業を立ち上げました。
どういう背景・目的でこのような事業を始めたのでしょうか?
集英社 岡本氏|
デジタルテクノロジーがすっかり一般的なものになり、スマートフォンも身近な昔からあるものと思っている若い世代もいるくらいですが、このプロジェクトの最初のきっかけは2007年に遡ります。
今から15年以上前ですが、その頃はコミックスの製作過程が全くデジタル化されていませんでした。全てのマンガ雑誌の原稿は印画紙に文字を焼き付けた「写植」を原稿に貼り、それをフィルムにしてから印刷するという方法で作られていました。
それがデジタルに切り替わっていったのが2007年頃で、そのデジタル化プロジェクトを担当していたのがきっかけでマンガに携わりはじめることになりました。
『ドラゴンボール』や『ONE PIECE』など、皆さんよくご存知の通り、数多くのいろいろなマンガがあるわけですが、それらは全てフィルムでしか残っていなかったので、それをスキャニングし高解像度のデータにしてアーカイブするという取り組みを始めたんですね。
これを「集英社コミックスデジタルアーカイブズ」(CDA)と名付け、そのデータを活用しようというのが「マンガアートヘリテージ」の元々のきっかけになっています。ちなみに、集英社が1年間にマンガの単行本をどれくらい出しているかわかりますか?
ストライプ社 ダニエル氏|
う〜ん…800くらい?
集英社 岡本氏|
すごいですね!まさに800点以上刊行しています。それぞれ1冊200ページくらいで、単純計算すると集英社だけでも5、6分に1枚ずつの新しいマンガが生まれていることになります。さらに集英社だけでなく、講談社さんや小学館さんなどいろいろなところを合わせると、日本では1分に1枚以上のペースで新しいマンガが生まれているわけです。
そうした莫大なコンテンツ資産に対して、集英社が新刊を全部データ化してとっておこうというプロジェクトを始めたのが2007年。現在では、冊数でいうと1万8,000冊分以上という膨大なデータがアーカイブされています。
多くの読者は雑誌やコミックスのサイズでマンガの絵を見ていると思うのですが、実際にデジタルアーカイブされた絵をみると、拡大しても拡大しても、ものすごく細かく描き込まれている作品がたくさんあるんです。「もっと大きなサイズで世の中に出さないともったいないのではないか?」と考えるようになりました。
そして、2009年頃にブロックチェーンの技術が出てきた。ミュージアムクオリティーのプリント作品に対して、ブロックチェーン連携した販売証明書をつなげると、世界にも通じるような事業ができるのではないかと考え、研究を始めたというのがそもそものきっかけです。それが「集英社マンガアートヘリテージ」という形になり、ウェブ公開できたのが2021年3月でした。
オールドテクノロジー「マンガ」×ニューテクノロジー「NFT」
ストライプ社 ダニエル氏|
私が日本語を勉強しようと思ったのは、マンガやアニメを通して興味が湧いたことがきっかけでした。こういう日本のマンガ・アートとNFTが結びついたというのは画期的ですね。
集英社 岡本氏|
私たちがプロジェクトを検討していた段階では、NFTといった言葉はまわりの誰も使っておらず、ローンチの前になって急にそうしたいろいろな話が出てきた次第でした。そして、リリース後にNFTの文脈で日本でも世界でも取り上げていただいた。タイミングとしては、非常にありがたかったです。
ただ、我々は「デジタルNFTコンテンツ」を販売しているわけではありません。あくまで私たちはフィジカルなプリント作品を販売し、それに販売証明書を紐付ける形をとっています。
おかげさまで2023年3月で開始から2年経つわけですが『ONE PIECE』、『BLEACH』、『ベルサイユのばら』、『天上天下』、『イノサン』などの作品を扱い、今年に入って田名網敬一さんと赤塚不二夫さんの作品のコラボレーションという大きな企画を実現することができました。1970年代に視点き巻き戻しながら、新らしいプロジェクトを考えるようなことをしています。
昨年時点で売上点数が1,000点を超え、全世界で購入いただいた売上は数億円規模になりました。「マンガアート」という新しい価値を信じていただいた方々がこれだけいらしていることを、ありがたく思います。
ストライプ社 ダニエル氏|
素晴らしいですね。NFTに限らず、“New”と“Old”の融合が実現できていると思います。最新のブロックチェーン技術も生かしながら、「写植」や「活版印刷」など、日本の職人文化ならではのオールドテクノロジーを活かしているのがとてもユニークです。
集英社 岡本氏|
集英社マンガアートヘリテージの作品を紹介する、30秒のムービーを作ってみました。冒頭は田名網敬一と赤塚不二夫のコラボレーション企画です。とても大きなグラビア印刷機が動いていますが、例えば「グラビアアイドル」という名詞は、元々グラビア印刷で刷られてからそう呼ばれていたわけです。実は2021年12月を以て、グラビア印刷機は日本の出版業界から姿を消し、全てオフセット印刷機に切り替わりました。
このグラビア印刷は、雑誌が非常に元気だった高度成長期の日本の出版を支えてくれた印刷技術で、実は印刷機の幅が約80メートル、高さが十数メートルもあります、実物をみると、印刷機というよりも「建物」といった印象を受けます。
しかし、徐々に時代に合わなくなってきて日本の出版では使われなくなってしまった。ただ、この印刷機が稼働している様子と、プリント自体は後世に伝えるべきではないか。それで「グラビア印刷を使ってアートプリントができないか」ということを考えて、田名網敬一さんにご相談したんです。田名網さんは、現在世界的に活躍するアーティストですが、日本語版PLAYBOYの初代アートディレクターをつとめたデザイナーとしてのお仕事もされています。それが、赤塚不二夫さんとのコラボレーションにつながりました。
このグラビア印刷機はもう稼働していないので、「オールド」というより「ロストテクノロジー」となりましたが、こうした作品を次世代のために協力して残せたのはとても意味のあることだったと思います。
ストライプ社 ダニエル氏|
もしかしたら、このプロジェクトがなければグラビア印刷の職人的技術がどんなものだったか、記録されずに終わってしまったかもしれません。
集英社 岡本氏|
この映像も含め、印刷に携わる人がどういうふうに働いているのかも伝えていくのが大切だと思います。続いて薩摩琵琶をかき鳴らしている映像がありましたが、この『BLEACH』の掛け軸作品は手で漉いてもらった紙に刷られています。
美濃の職人さんに依頼して、こうぞを潰すところから始めて紙を漉いてもらい、カラーのコロタイプ印刷という世界で京都の1社しかできない印刷を行って、それを掛け軸の形にしました。これは実は、マンガが描かれるB4の原稿用紙のサイズの起源が、江戸時代の美濃判のフォーマットにあるということから連想して進めた企画です。
その次に、チェロの音色に乗せて映っていたのが活版印刷です。マンガは元々、活版印刷のために進化してきたという側面があります。戦後すぐ、あまり良くない紙に大量印刷する安価なビジュアルエンターテインメントとして、日本のマンガは広まった。
マンガというのは独特な表現で、ご存知の通り黒と白がはっきりしているモノクロの画面で構成されます。グレーの部分はよく見ると全部ドットで、これらは全部、活版印刷で刷るための表現ということになります。
ですから、元は大量印刷なのですが、それをものすごく高級な紙に、マンガ原画の原寸サイズで、本気の印刷をするとどうなるか試みたのが、活版平台印刷機によるプリント「The Press」と名付けた版画シリーズになります。
それこそ昔は、活版の大型平台印刷機って東京の下町などどこにでもあったそうですが、今ではどこも廃業しており、私たちが探したとき唯一見つけられたのが長野の会社でした。そして現在、印刷技術を持った職人さんに戻ってきていただいたりして、作品を生み出しているというわけです。このように、さまざまな地域でいろいろな組み合わせの取り組みを行っています。
最後に、バイオリンを弾いていらっしゃったのは、日本を代表するヴァイオリニスト・前橋汀子さん。まずサンクトペテルブルグの音楽大学に、その後ジュリアード音楽院に留学され、世界で演奏旅行をされていた方です。
『ベルサイユのばら』の作者・池田理代子先生は音楽ファンであると同時に、ご自身も声楽家です。「前橋さんにぜひお願いしたい」というお話があり、『ベルサイユのばら』とヴァイオリンとパリの風景のコラボレーションが実現しました。
以上のように、本当にさまざまな人や地域や技術を組み合わせ、しかもそこにブロックチェーン/NFTで紐付けられた販売証明書が付いているということで、すごく広がりのあるプロジェクトになっていると自負しています。そこに新しい魅力を感じて見ている方もいらっしゃって、どうにか3年目を迎えることができました。
デジタル決済の企業なのに出版事業も!リアルを大切にするストライプ社
ストライプ社 ダニエル氏|
オールドテクノロジーとニューテクノロジーで、新しい魅力が生まれたということですね。テクノロジーと言えば、私たちストライプが技術面で協力させていただいていますが、何か弊社に対する質問やフィードバックなどはありますか?
集英社 岡本氏|
まず私たちの関係の経緯からご説明します。私たちはブロックチェーン/NFTに関しては、スタートバーン株式会社というスタートアップのNFT管理サービス「Startrail PORT」を利用していますが、どうしてブロックチェーンだったかというと、集英社が販売しているものに対して、集英社自身が「保証します」と言ったところで世界的に通じないのではないかと考えたからです。
日本でこそ、出版社として名前を知っていただいている方もいらっしゃいますが、世界的には『ONE PIECE』という作品は知っていても、集英社という出版社の名前は知らない方がほとんどのはず。そんな中ブロックチェーン/NFTで作品の来歴が記録されているという保証があれば、公平かつ客観的な担保になるのではないかと考えました。
そうしてスタートし始めようとしたときに「今後、世界で販売されるのであれば、ストライプさんのサービスがいいと思います」と、スタートバーンさんからご紹介があって「それならぜひ」ということで依頼させていただきました。
実際、日本以外で課金・決済しようというときには、常に安定してクレジットカードの決済が通ることが何よりも重要です。お陰様で、今までストライプさんのシステムが原因で何かトラブルが起こるようなことは一度もありません。
また、売り上げなどを確認できる画面もグラフィカルで直感的に把握できることが、技術的にもサービス的にも素晴らしいと感じています。
そして、プロジェクトを始めて1年足らずの時点で、ストライプさんが私たちのことを「ぜひ取材したい」と提案され、それが実現したときにすごく感動したことがありました。
実際に取材チームにお会いしてお話しした後、ものすごく丁寧なカードと、とてもかっこいい単行本が送られてきた。そしてその本の背表紙に「Stripe Press」とロゴがあったんです。
クレジットカード決済サービスの会社のはずなのに、アナログなかっこいいカードに手書きのメッセージが書かれていて、しかも「Stripe Press」として出版もやっているのかと感嘆したんですね。「誰かと関わるときに、手書きのメッセージやリアルな紙というのは素晴らしいな」と再認識した瞬間でした。
現代は、さまざまな場面がデジタルで通じやすくなった反面、コミュニケーション面では有る意味「雑」になっている中、「紙だからこそ伝わるものがあるな」と出版社に勤める一人としてすごく考えさせられました。
ストライプ社 ダニエル氏|
ありがとうございます。集英社さんの前で言うのも何ですが、一応 Stripe Press という出版社も持っています。それは、ストライプの創業者たちも本が好きだということもありますし、また単に世の中にプロダクトを提供するだけだと業界全体が盛り上がらないということでビジネス、テクノロジー、サイエンスの業界全体として発展できればいいなと考えています。
また、今は絶版になってしまったが貴重な内容の本などを自分たちで出版したら、世の中にも出回るし、本を通していいことが有るのではないかという考えが土台にあり、さまざまなメディアを通してどんどん新しいアイデアを発信しています。
足元に宝あり。失われつつあるものと新しいものの組み合わせがイノベーションを生む
集英社 岡本氏|
なるほど。実際に印刷機が回っているところを見るとグッと来ますよね。
ストライプ社 ダニエル氏|
皆がそう思っているかはわからないですが、岡本さんにリアルなカードや本が喜んでいただけたなら良かったです。
集英社 岡本氏|
私は均質に全く同じものを作るのでなく、むしろアナログで少しずつ違ったものができる方が面白いと思っています。私たちは早い段階から「グーテンベルク・ミーツ・ブロックチェーン(Gutenberg meets blockchain)」という言い方を使っていて、古いものと新しいものとの距離があればあるほど面白くなるのではないかという予感がありました。
ストライプ社 ダニエル氏|
お互いの刺激や相乗効果というわけですね。
集英社 岡本氏|
マンガというものが、古いものと新しいものを混ぜ合わせるのにとても適していた、ということもありますね。
ストライプ社 ダニエル氏|
最後に、今日参加されている方々は、どうすれば日本に来る外国人や、日本に留学しに来ている外国人のお客様に喜んでもらえるか、いろいろ考えておられると思います。
日本を好きになってもらったり、帰国後も日本との関係を持ち続けてもらったりする中でビジネスを展開していく上で、どう日本をアピールすることがビジネス上の成功につながるか、2年間プロジェクトを進めてきて示唆をいただけるポイントはありますでしょうか?
集英社 岡本氏|
私は元々、マンガの編集者というわけではなく、配属された女性誌でWebを担当し、マンガの製作工程のデジタル化から、マンガに関わるようになりました。
他部署にいて、マンガ編集とも距離があったので、逆に「マンガにはもっと可能性があるのではないか」と客観的に気づけた部分があると思っています。
少し客観的に引いて見ることが大切ではないかな、と。そして引いて見たときに、上とか先を見るのではなく、もっと下の方を見ることが大切なのではないかと考えます。
私は福井県の若狭で育ちました。小学生の頃、同じく若狭出身の小説家・水上勉さんが講演にいらしたことがありました。当時はバブル期で、若狭も大学を誘致したい、デパートを作りたいと華やかな話が多かった。水上さんは元々ご実家が貧しくて、小僧としてお寺に修行に出され、そこで勉強して小説家になり直木賞を取った方です。故郷の若狭のことはずっと大切にされていたと同時に、またそれぞれの地域にある伝統も重視されていました。
伝統と言っても、例えばお寺にこういう口伝が伝わっているとか、すごく地道な収集作業をされており、そんな水上さんの姿勢から、足元を見つめることの大切さを教わった気がします。
水上さんは、世間はやれ「未来だ」、「経済学部だ」、「先端技術だ」と上や先ばかり見たがりますが、そうではなくて、「もっと地べたを見なさい」とおっしゃっていました。
「夏の暑い夜。和尚さんが入ったお風呂の残り湯を、小僧さんが冷まして、『草木も暑かろう』と植物にかけてあげた。その葉っぱの先についた、水滴一つ一つに宇宙は映っているでしょう。そこに何よりも美しいダイヤモンドがある。先ばかりを見るのではなく、もっと目の前や下を見ましょう」と話しておられました。
先ほど申し上げたグラビア印刷や活版印刷のように、気づかなければなくなっていくものがあります。そうしたものと、現代の新しい技術を組み合わせる。そうしたことが大切だと共感いただける方々がたくさんいらっしゃるからこそ、プロジェクトが3年目を迎えることができたのだと実感しています。
ストライプ社 ダニエル氏|
なるほど。 新しいものを探さなくても、実は足元を見ればそこに宝がたくさんあるということですね。
集英社 岡本氏|
はい。目の前のことを大切にしていると、さまざまなことがつながってくると実感した2年間でした。
株式会社集英社|集英社デジタル事業部 次長/集英社マンガアートヘリテージ プロデューサー 岡本 正史氏
東京藝術大学美術学部卒業後、株式会社集英社入社。女性誌、女性誌ポータルサイトを経て、マンガ制作のデジタル化に参加。集英社刊行の主要コミックスをアーカイヴしデータベース運用する「Comics Digital Archives」を企画・実現。『週刊少年ジャンプ』等のマンガ誌の制作環境のデジタル化を行う。デジタル事業部に異動後「Manga Factory」「SSDB(集英社総合データベース)」「SHUEISHA MANGA-ART HERITAGE」などを立ち上げる。
ストライプジャパン株式会社|代表取締役 ダニエル・ヘフェルナン氏
2014年にStripe日本法人を創設。以来、日本向け製品の開発や組織の拡大に尽力し、日本市場向けビジネスの経営および開発を統括。エンジニアリングと日本に深い情熱を持ち、ソフトウェア開発暦および日本語を学び始めてから共に20年以上の歳月を重ねる。Stripeへの参画前は、クックパッドでエンジニアとして従事。東京大学にて情報理工学修士号を取得。
関連リンク
SHUEISHA MANGA-ART HERITAGE(集英社マンガアートヘリテージ)
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*1 | https://mangaart.jp/ |
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