日本空港ビルデングのリテール戦略を深掘り
DearOne 安田|
現在ご担当の、業務領域について教えてください。
日本空港ビルデング 堀氏|
デジタル事業推進室をメインに、リテール営業部とマーケティング戦略部も兼務し、これら3つのセクションの次長職を務めています。デジタル事業推進室という部門はいわゆる情シスで、サーバーなどインフラ周りの整備や、業務システム運用にかかるアプリケーション領域や業務設計のスペースまで管轄しています。
業務の効率化やコスト削減を目的にBPR*1 … Continue reading推進やERP*2 … Continue reading化に取り組んでおりますが、昨今はこれだけDX化が叫ばれるようにもなりましたので、本格的にお客さまの領域まで整えていこうという方針になり、顧客のカスタマージャーニーを最適にしていこうと、4年程前からその部分も私が担当することになりました。羽田空港はリアルサービスが強いですが、デジタル領域におけるお客さまへのサービスはまだまだ改善の余地があると考えております。
また、2020年にコロナ禍に入り、飛行機に乗る人がほとんどいなくなってしまった状況で、改めてマーケティングやEC事業にも力を入れていくことになり、デジタル技術を利用した変革全般、例えばERPやBPRを推進しつつ、デジタルマーケティングやリテール領域も担当しています。
少子高齢化が進み、今後、ますます労働人口が不足する時代になりますので、リテール領域においては、モバイルオーダー、配膳ロボット、セルフ会計などを備えた無人決済店舗の導入などを検討しています。無人決済店舗のような業態の店舗はこれから世の中に増加すると思われますが、空港内の店舗においても新しいサービスを立ち上げ、さまざまなお客さまに対しスムーズな購買体験や安心感を提供できるような仕組みを作りたいと考えております。
DearOne 安田|
従来の社内の情報システム周りから、お客さまの領域にまで業務の幅を広げるのは大きな転換だったと思います。順調に進みましたか?
日本空港ビルデング 堀氏|
まず、DX戦略全体ということでお話しますと、弊社では去年のゴールデンウィーク明けに新しい中期計画を策定し、この中でDX戦略についても発表・公開させていただきました。その後、戦略を具体化しつつ、関係者ともに推進している途中です。
「お客さまの領域」でのプロジェクトとしましては、実は、中期計画策定前の2019年に立ち上げて推進しておりましたが、具体的な内容を細かく詰めていく段階になってコロナ禍に突入してしまいました。報道等にあるとおり航空業界も非常に厳しい経営環境になり、多くの航空機が欠航する日々でしたので、構想を実現するスケジュールや実行内容にそれなりの影響がありました。当時はコロナの出口が全く見えず、予測がつかない時期でしたし、お客さまのニーズやペインにも大きな影響を与えたと思いますので、プロジェクトの推進は簡単ではありませんでした。
新しい領域であり、元から難易度が高いプロジェクトと思いますが、これにコロナの影響が重なったため、何をどうやって進めればいいのかを含めて常に試行錯誤しながらチェレンジしている状況です。
DearOne 安田|
ECはリニューアルされたということでしょうか。
日本空港ビルデング 堀氏|
はい。以前からECサイトはありましたが、コロナ禍に入ったことをきっかけにして、今一度、オペレーション、サービス、商品の掲載法、UIに至るまで見直しを進めました。
ネットで予約し空港で受け取れる「クリック・アンド・コレクト」
DearOne 安田|
ECは現在何人くらいでの運用体制ですか。
日本空港ビルデング 堀氏|
ECの運用は、物品販売を委託している子会社も含め10人くらいの体制で運営しています。私が所属する本社のメンバーは、主にどのようなサービスがいいのかといった企画やECサイトの改修の要件や仕様を検討し、推進しております。
UI/UXについても、そこでお客さまに合わせて変えていくわけですが、具体的なサービスとしては例えば「クリック・アンド・コレクト」、つまりネットで予約して店舗で受け取るといったことを可能にし、それに伴いUIも大きく変えました。
あるいはお客さまの検索のやり方は人それぞれだと思いますが、導線として太そうな部分にタグを埋め込んで分析し、「ここが弱い」「ここはまあまあ太いが離脱が多い」といった分析を行い、細かい修正を施していました。
分析は主にGoogle Analytics(GA)で行っています。ページ離脱率などを見て、離脱の多いページに改修を加えUIを直したり、あるいはチャットボットを組み込んで回答率を向上させたりなど、あの手この手で進めています。
ECサービスもいろいろあります。国内通販のほかに、海外に出国する方の免税品の予約・購入ができるサービスなどです。ネット予約で「クリック・アンド・コレクト」を指定して空港に来ていただくと、既に決済してピックアップ済みの状態になっているので、お客さまへすぐにお渡しできます。
お客さまからすると空港がすごく混んでいても、並ばないで受け取ることができますし、5%引きクーポンなども利用可能です。このように回転を上げていく施策を色々と考えています。国際線のフライトが回復してきたら、大きな効果があるだろうと予測しています。
WOVNのソリューションによる10ヶ国語対応で利用者98%以上のカバーを目指す
DearOne 安田|
WOVN.io導入はECが対象でしょうか。
日本空港ビルデング 堀氏|
はい。上記施策の準備の一環で、インバウンド向けにWOVNさんのWebサイト多言語化ソリューション『WOVN.io』を現在、ECに導入している途中です。細かい話になりますが、WOVN.ioは英語を起点(元言語)に多言語対応すると一番誤訳が少なくなるので、まず英語と日本語のページは頑張って自分達で作る。そして英語を起点に韓国語、中国語、ベトナム語などへの対応を進めていく予定です。
国籍別の出向者数を分析しますと「母語者数上位10ヶ国語」を翻訳すると、羽田空港を利用する旅行者の98%以上はカバーできることがわかりました。よって、その10ヶ国語くらいの外国語対応が目標です。
あとは購買力がある国とそうでない国で、外国語対応の優先度は変わってくるかもしれません。例えば、昨今ですとベトナムは経済成長率が高い国ですし、ベトナムの方は元々たくさん商品を買われる傾向があります。 翻訳という観点では、例えば、英語翻訳は話者人口も多く、それに伴いプロ翻訳の精度も高いです。また、我々のスタッフに中国人や韓国人などがいるので中国語や韓国語もカバーしやすい環境にあります。ところがベトナム語やタイ語となると途端にわかる人が少なくなりますし、フランス語やロシア語もやはり自社だけでは難しいので、WOVNさんの多言語化・自動翻訳ソリューションの力を借りて対応したいと考えています。
クリック・アンド・コレクトで顧客体験価値の向上を目指す
「並んだ末、買い物もできないなんて…」担当者がアプリ開発を決心した原体験とは?
DearOne 安田|
「クリック・アンド・コレクト」など、OMOを意識したアプリをリリースした目的を教えてください。
日本空港ビルデング 堀氏|
羽田空港アプリに関しては、私の実体験が反映された部分があります。私がコロナ前、最後に海外旅行に行った先はベトナムでした。本来は出発時刻の2時間前に空港に到着すればいいのですが、空港従業員の肌感覚として「最近は特に国際線は混んでいるな」と考え、定刻の3時間半前に羽田空港に行きました。
WiFiルーターを借りようと思って空港での受け取りを申し込み、3時間半前に受け取りに行ったのですが、既に結構な行列になっていました。「すぐに解消されるだろう」と思って並んでいましたが40分待ってもまだ受け取れない。すると前に並んでいた5、6人の女性たちが「飛行機に乗り遅れちゃうから、もうWiFiは諦めよう」と離脱されました。
その女性たちは、おそらく空港の免税店で買い物もできず、食事もできず、WiFiも借りられないという中で海外に出発することになったのだろうと思います。もしかしたら化粧品が欲しかったかもしれないし、ブランド物のお財布が欲しかったかもしれません。とても気の毒になりました。
そこで、時間内にWiFiを受け取れる私と、受け取れなかった彼女たちとの差は何かと考えましたが、単純に私は「混んでいるだろうからちょっと早めに行こう」と思った、それだけの違いということが分かりました。WiFiが借りたい、食事がしたい、買い物をしたいというニーズがある人には、アプリを通じて「ご出発予定日は、羽田空港の混雑が予想されるため、ご搭乗の何分前にいらっしゃいませ」ということをこちらから教えてあげるサービスを提供することで、空港の中が混んでいるのは仕方ないにしても、お客さまが空港内で時間切れになるケースを予防でき、機会損失も防げることにつながるのではないのかと考え、2019年頃に企画をしたという経緯があります。
「ターミナルを間違えていませんか?」乗り遅れをなくすプッシュ通知を実現!
DearOne 安田|
何となくアプリを作る企業も多い中、そこまで明確な機能や目的のイメージがあるのはすばらしいですね。
日本空港ビルデング 堀氏|
アプリはまだ開発途中ですので公開予定の機能を含めてお伝えいたします。まず、具体的にやりたいと思っていたのが、「プッシュ通知」を活用した情報発信です。空港は、頻繁に来る人とあまり来ない人が極端に別れる場所です。頻繁に来る人だと年間に50回以上のフライトがある方もおりますが、このような人たちは羽田空港に慣れていますので、空港内で迷ったりするケースは比較的少なくなることが考えられます。
他方、空港にたまにしか来ない方、回数としては年間に1回から多くて3回程度の来港となる方が総人数としては圧倒的に多くなります。こうした方々は、例えば「ANAの札幌行きは、1ビル、2ビル、3ビルのどのターミナルに行けばいいのだろう?」「駅はどこで降りればいいのだろう?」という方も多いですし、羽田空港にある約450ものお店やサービスの内容を知った上で、最適なカスタマージャーニーを描けるのか、というと難しい面があると思います。
実は羽田空港アプリをインストールして、位置情報の取得も「OK」と設定した方に対しては、仮にANAに乗るはずなのに1ビルに行ってしまったら「あなたはターミナルを間違えていませんか?」とプッシュで教えてもらえる機能があります。皆さん「乗り遅れについて一番ハラハラする」とのことなので、まずは間違いなく飛行機に乗っていただくというのが、このアプリの重要な役割と考え機能の設計をしております。
また、駐車場の予約も気をつけないといけません。というのも、8月は例年毎日混雑しております。朝方はまだ空きがありますが、午前中から満車になり、2〜3時間待ちの日が大半になります。
8月に「よし家族旅行だ」「パパ、今日は楽しみだね」と自家用車で羽田空港に向かったら、混雑により駐車場が3時間待ちという状況を知り、「3時間待ちって、出発時刻まで2時間しかないのに…」という状況になりかねません。そうすると、お父さんを残して家族は飛行機に乗ることになったり、お父さんは当日飛行機を予約して後ほど合流したり、という悲しい体験になってしまう可能性があります。
これに対して、アプリをインストールしておけば、「8月は駐車場が混んでいるので、公共交通機関で来るか、駐車場予約をおすすめします」という情報が届きます。このように、羽田空港の詳細な情報をお客さまに届けるなどアプリを通じてアテンドすることにより、羽田空港の顧客体験を向上できるのではないかと考え、このアプリを設計し、段階的にサービスの拡大を図っております。
デジタル会員証の充実でLTVの高い空港ファンを増やし、コロナ禍後の観光業界全体の底上げを
DearOne 安田|
必ずしも全体の売り上げアップに直結するとは限らない、顧客体験の価値向上をそこまで重視・追求できたのはなぜでしょうか。
日本空港ビルデング 堀氏|
日本は今少子高齢化を迎えており、インバウンド政策が非常に重要だと考えています。そういうピンチの中、アプリによるUI/UX向上が今後の航空産業の中で不可欠だと実感しています。また、LTVを高めることも特に重要で、お客さまには空港のファンになっていただいて「また飛行機に乗って旅行がしたいな」と思っていただけるくらいになれたらと考えています。
そのためには、「初めてご搭乗になれる方や、ご高齢の方でも飛行機にスムーズに乗れます」「不安はないですよ」という状態を作っていき、観光業界全体を底上げしていきたいという思いがあります。それが引いては地方創生など国の発展にもつながるかもしれませんし、あるいは多くの航空旅客が羽田空港をストレスなく快適に利用してもらえるなら共存共栄の航空会社の方々にも喜んでいただけるでしょうし、お客さまも我々空港のオペレーターも皆さまが三方良しで喜べる切り口の一つとして、アプリのサービスは重要ではないのかと考えております。
また、「クリック・アンド・コレクト」に関連して今企画しているのは、デジタル会員証をPOSで読み取りポイントを付与するサービスです。これにより「この会員の方は半額クーポンを使った」「今年羽田空港に何回来た」「ECでも買っている/買っていない」「飲食店を使っている/使っていない」などの情報がわかります。
そもそも、それほど使われていなかった前EC時代から、構想としてはECだけでなく、リアルサービスも統合するつもりで会員基盤が作られていました。ですから顧客データを一元的に集めるところまでは実現できています。それを分析するとき、現在はまだ購買履歴と付き合わせたりすることまではできていないのですが、そこまで実現することを視野に入れた設計にしているので、近い将来必ず実現してより「安心・安全・快適な羽田空港」を提供していけたらと考えています。
データ分析は人を説得するためにやる。DX人材はOJTで育てる。
DearOne 安田|
これから社内でデータ人材を育てていきたいとお考えですか?
日本空港ビルデング 堀氏|
いわゆる「DX人材」に関わる話ですね。例えばデータ分析官にもデータアナリストやデータサイエンティストなど、さまざまあります。もちろん、「人材を育てよう」とはよく言われるし、雑誌や本にもいろいろなことが書かれていますが、事はそう簡単じゃありません。そもそも、「データ分析を何のためにするのか」という議論自体があまり深まっていない気もします。
私自身は、データ分析は人を説得するためにやると思っています。データ分析によって、現状を把握し、課題を抽出し、解決策を考案し、実行する。この過程でデータがない、つまり根拠がないと人を説得できませんし、施策が成功する確率も大きく異なると考えています。
もちろん、人によってデータ分析の目的ややり方も変わってきますので、そんな中でどのようにデジタル/DX人材を育てればいいかというと、そこはOJTしかないと思います。実務を通じ、「このようにデータを管理・分析し、行動に移した後に自分でデータを検証する」ということを、実際に一緒になって実践し、そうして部下本人が体験しながら、少しずつ身につける。このプロセスを繰り返していくしかないかなと感じています。
いくらデータ分析やデジタルに関する良いセミナーがあって、受講させても、それだけで身に着けることは難しいのではないかと思います。
楽しんで、真の顧客体験の向上を目指す
DearOne 安田|
お客さまの不安解消のために「羽田空港アプリ」をリリースされた際、部署を跨ぐプロジェクトの課題解決の難しさや壁などはありましたか。
日本空港ビルデング 堀氏|
社内でも3つのセクションの兼務は珍しいですし、業務量が多いため結構大変です。ただ、自分の企画に対して信念といいますか、内容や目的には根拠があって、それに共感してくれる社内外の仕事仲間と推進するプロジェクトは楽しいですね。
「羽田空港を利用する全てのお客さまに、安心と安全と快適を提供する」「羽田空港で働く全てのスタッフに、働きやすい環境を整える」という多くの方から共感される考え方を作って、その中で進めております。簡単な仕事ではありませんが、プロジェクトメンバーが団結し、これからも一つ一つ困難を乗り越え、真の顧客体験の向上につながるサービスや働きやすい職場環境を作り上げていけたらと考えています。
DearOne 安田|
本日は大変貴重なお話をありがとうございました。
※この記事は、2023年2月 取材時の情報です